笠間稲荷神社は、茨城県笠間市にある日本三大稲荷の一つとして知られる神社です。
笠間稲荷神社は、伏見稲荷大社(京都市伏見区)や祐徳稲荷神社(佐賀県鹿島市)と並び、日本三大稲荷神社の一つに数えられています。この神社は、稲荷神社の総本宮である伏見稲荷よりも古く、651年に建造されたとされています。
笠間稲荷神社の位置とアクセス

笠間稲荷神社の位置
〒309-1611 茨城県笠間市笠間1
笠間稲荷神社へのアクセス
車
北関東自動車道友部IC下車、国道355号経由約15分。
電車
JR水戸線笠間駅下車、徒歩約20分またはタクシーで約5分。
笠間稲荷神社の時間
月曜日:8時00分~16時30分
火曜日:8時00分~16時30分
水曜日:8時00分~16時30分
木曜日:8時00分~16時30分
金曜日:8時00分~16時30分
土曜日:8時00分~16時30分
日曜日:8時00分~16時30分
笠間稲荷神社の歴史と由緒
笠間稲荷神社の由緒
創建は社伝によると白雉2年(651年)とされ、1360年以上の歴史があります。
笠間稲荷神社の歴史
創建と初期の歴史
笠間稲荷神社の創建は、社伝によると白雉2年(651年)とされています[1][2]。これは伏見稲荷大社の創建より約60年も前のことで、日本最古の稲荷神社の一つとされています[2]。当時、社地一帯は胡桃の密林であったとされ、そのため「胡桃下稲荷」(くるみがしたいなり)とも呼ばれるようになりました。
江戸時代の発展
笠間稲荷神社が大きく発展したのは江戸時代になってからです。特に重要な出来事は以下の通りです。
1. 寛保3年(1743年):笠間城主の井上正賢により社地社殿が拡張されました。
2. 延享4年(1747年):新城主の牧野貞通により藩の祈願所と定められ、境内地や祭器具等が寄進されました。
井上正賢の霊夢
笠間稲荷神社の発展には、井上正賢にまつわる伝説が大きく関わっています。寛保3年(1743年)の夏、正賢の夢枕に白髪の老人が現れ、稲荷神であると名乗り、社地の拡張を願い出たとされています。この霊夢をきっかけに、正賢は社地を拡張し、祭具を奉納しました。
「紋三郎稲荷」の由来
笠間稲荷神社には「紋三郎稲荷」という別称があります。これには二つの説があります。
1. 藩主・井上正賢の縁者に門三郎という人物がおり、笠間稲荷の信者獲得に尽力したため。
2. 地域に伝わる4匹の狐の兄弟の伝説によるもの。
近代以降
江戸時代末期の安政・万延年間(1854~1860)に御本殿が再建され、昭和63年(1988年)に国の重要文化財に指定されました。現在では、年間350万人以上の参拝者が訪れる日本三大稲荷の一つとして広く知られています。
このように、笠間稲荷神社は1300年以上の長い歴史を持ち、特に江戸時代以降に大きく発展し、現在に至るまで多くの人々の信仰を集める重要な神社となっています。
笠間稲荷神社の祭神と信仰
– 主祭神は宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)です。
– 五穀豊穣、商売繁盛、殖産興業、開運招福、火防の守護神として広く信仰されています。
笠間稲荷神社の建築と文化財
– 本殿は江戸時代末期の再建で、昭和63年に国の重要文化財に指定されています。
– 本殿周囲の彫刻は、当時の名匠による精巧な作品で知られています。
笠間稲荷神社の参拝者数と行事
– 年間300万人以上の参拝者が訪れ、初詣には80万人以上が訪れる茨城県内最大の神社です。
– 主な行事には初午祭(2月)、例大祭(4月)、菊まつり(10月〜11月)などがあります。
笠間稲荷神社の特徴的な要素
– 境内には「八重の藤」と「大藤」という二株の藤樹があり、5月上旬に見頃を迎えます。
– 東京都中央区日本橋浜町には笠間稲荷神社東京別社があります。
まとめ
笠間稲荷神社を紹介しました。
笠間稲荷神社は、その長い歴史と深い信仰、豊かな文化財、そして年間を通じての様々な行事により、多くの人々に親しまれている重要な神社です。
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